賀茂朝臣一族

賀茂朝臣蝦夷
天武元 (672) 六月 壬申の乱に功
同十三 (686)十一月 鴨君が朝臣姓を賜る
持統九 (695) 四月 賀茂朝臣 直広参(本は勤大壱)


鴨君粳賣
大倭国葛上郡人
文武四 (700)十一月 二男一女を一度に生み、褒賞


賀茂朝臣吉備麻呂
大宝元 (701) 正月 刑部判事、進大壱で、遣唐使中祐となり
慶雲四 (707) 三月 帰朝し、同五月絶域に使わせるを
嘉して綿し布鍬、ならびに殻を賜った。
同   八月 従七上より従五下に叙せられた。
入唐の功を褒したのである。
和銅元 (708) 三月 下総守となり、さらに玄蕃頭となった
同六  (713) 四月 正五下に叙せられ
養老元 (717) 四月 河内守に任ぜられ
同二  (718) 正月 正五下より従四下に叙せられ
同三  (719) 七月 播磨守となり、また按察使に任ぜられ、
備前、美作、備中、淡路四国を管した


鴨朝臣堅麻呂
和銅五 (712) 正月 従六上より従五下に叙せられる
養老元 (717) 正月 従五上
同七  (723) 正月 正五下に叙せられる

賀茂役首石穂
養老三 (720) 七月 石穂等百六十人に賀茂役君の姓を賜った。
従六上。



鴨朝臣治田
神亀元 (724) 二月 従六上より従五下に叙せられる


賀茂朝臣助
神亀元 (724) 二月 従七上より従五下に叙せられる
天平八 (736) 正月 従五上
同十一 (739) 正月 正五上
同十二 (740)十二月 美濃行幸に労勤あり、従四下


賀茂朝臣高麻呂
天平九 (737) 九月 正六上より外従五下に叙せられる


鴨朝臣角足
天平十五(743) 五月 正六上より外従五下に叙せられる
同十五 (743) 六月 右京亮に任ぜられ
同十八 (746) 四月 従五下に叙せられる
同二十 (748) 二月 従五上に
勝宝元 (749) 七月 正五下に
同元  (749) 八月 紫微大忠を兼ねた。時に左兵衛率。
同四  (752) 四月 大仏開眼会の際、開眼師菩提法師の迎をつとめ
同七  (755)十二月 孝謙天皇勅施入文書に
紫微大忠正五下兼左兵衛率右馬監と署し
同八  (756) 六月 同じく、施入文書及び東大寺献物帳に
紫微大忠正五下兼左兵衛率右馬監と署し
同八  (756) 七月 同じ
宝字元 (757) 五月 正五上に叙せられ
同元  (757) 六月 遠江守に任ぜられる
同元  (757) 七月 橘奈良麻呂の陰謀に参加、捕らえられ死亡

鴨朝臣石角
天平十七(745) 正月 正六上より外従五下に叙せられる
同十七 (745) 四月 主殿助として、同寮解に署し
同十八 (746) 四月 主殿頭となり、従五下に叙せられる


賀茂朝臣子黒(小黒)麻呂
吉備麻呂の子
一名、虫麿(虫丸)といい

勝宝元 (749) 七月 正六上より従五下に叙せられ
勝宝八 (756) 五月 聖武天皇崩御の時、右兵衛率、従五上の
地位にあったが、山陵奉仕せんことを請い、
忠誠を嘉して従四下に叙した


賀茂朝臣比売
小黒麻呂の子
淡海公室。聖武皇帝外祖母

天平七 (735) 十月 一日卒。勅以一位葬送之。
正四上。散一位の葬儀を以って送らしめられた。
藤原不比等に嫁し、宮子を生んだ。


賀茂朝臣根足
勝宝四 (752) 五月 官奴を免ぜられ良に従い、姓を賀茂朝臣と賜った。



鴨朝臣小魚即
女孺
勝宝四 (752) 五月 従六下より従五下に叙せられえた


賀茂朝臣浄名
宝字元 (757) 五月 正六上より従五下に叙せられる
神護二 (766) 七月 紀伊守
宝亀元 (770) 八月 員外少納言に任ぜられる


賀茂朝臣塩管
宝字元 (757) 五月 正六上より従五下に叙せられる
同五  (761) 正月 土佐守
景雲二 (768) 二月 神祇大副に任ぜられる

賀茂比良麻呂
宝字元 (757) 七月 橘奈良麻呂の変に坐し、乃呂志の姓
宝亀三 (772) 八月 本姓に復した


賀茂朝臣小鮒
宝字四 (760) 正月 天皇が藤原仲麻呂第に行幸した日、
従五上より正五下に。



賀茂朝臣諸雄
小黒麻呂の子
神護元 (765)閏十月 正六下より従五下に叙せられ
同二  (766) 三月 近衛将監の時、伊勢員外介を兼ね
景雲二 (768) 十月 従五上に叙せられ
同二  (768)十一月 姓高賀茂朝臣を賜った
同三  (769)十一月 員外少納言となり、
宝亀元 (770) 七月 正五下に叙せられ
同二  (771) 七月 再び員外少納言に任ぜられ
同八  (777) 十月 神祇大副
延暦八 (789) 二月 参河守となった。


賀茂朝臣田守
小黒麻呂の子
宝字八 (764) 十月 藤原仲麻呂追討の論功に、従六下より従五下に
同八  (764)十一月 兄・法臣円興と共に高鴨神を土佐より
大和葛上郡に復祀した。時に中衛将監
景雲元 (767) 九月 播磨守に任ぜられ
同二  (768)十一月 姓高賀茂朝臣を賜った


賀茂朝臣伊刀理麻呂
宝字八 (764) 十月 正六上より従五下に叙せられる

賀茂朝臣大川
宝字八 (764) 十月 藤原仲麻呂追討の論功に、正六上より従五下に
景雲元 (767) 三月 大監物
同元  (767) 七月 内匠助
同元  (767) 八月 長門守
宝亀二 (771) 九月 木工助
同三  (772) 四月 弾正弼
同八  (777) 十月 内蔵助
天応元 (781) 五月 神祇大副
延暦二 (783) 六月 大蔵少輔
同八  (789) 五月 神祇大副
同十  (791) 正月 従五上に叙せられ、伊賀守に任ぜられる

賀茂朝臣萱草
小黒麻呂の子
景雲元 (767) 十月 従六下より従五下に叙せられ
同二  (768)十一月 姓高賀茂朝臣を賜った。


賀茂朝臣清濱
大和葛上郡の人
景雲三 (769) 五月 姓高賀茂朝臣を賜った。時に正六上

賀茂朝臣人麻呂
諸雄の子
宝亀二 (771)十一月 正六上より従五下に叙せられ
同五  (774) 三月 上野介
同九  (778)十二月 左少弁
天応元 (781) 五月 常陸介
延暦二 (783) 五月 筑後守
同四  (785) 七月 左京亮ついで、斎宮頭に任ぜられ
同八  (789) 正月 従五上になり
同九  (790)十二月 左少弁に任ぜられえた


賀茂朝臣麻呂
宝亀八 (777) 正月 中務員外少輔に任ぜられる、時に従五下



賀茂朝臣御笠
女嬬
宝亀十 (779) 五月 正六上より従五下に叙せられる

古代人名辞典より