銅鐸と加茂

 銅鐸に興味をもってから、最初に気が付いたことが加茂地名との符合です。
自分ではすごい発見のように思い歓喜して加茂との共通点を探していました。
しかし、その道はすごく多くの先人たちの歩んだ道でした。
このことは歴史に関してほとんどの分野で同じことだと気が付きました。
自分たちの目や耳に入らないところで活発に論議されていることとは知りませんでした。
このことに気づかせてくれたネットの世界は本当にすばらしいと思っています。

そして加茂地名の先駆者大場氏の「銅鐸私考」というものを一度見てみたいと探しましたが
見つかりませんでした。その代わりに藤森氏の「銅鐸」よりその抜粋を見つけ喜んでいます。

大場氏のご意見はカモ・ミワの両族と銅鐸が深く繋がっているということのようです。
そしてその地名・出雲系神社と銅鐸の出土地を照合しています。
たしかに思った通り符合していますが、銅鐸出土地のすべてと合う筈も無く
埋設場所のパターンの一つでしかないようです。

そもそも「カモ」「ミワ」と言う言葉はなんなんだ?という疑問に突き当たります。
カモ・・・・平野が山際に深く入り込んだ土地
出典もとがよくわからないのですが、確かに地形的には加茂の地名地はそんな所です。
古代人が稲作を初めて、川が山から出てくる場所を神聖な場所としていたのかな?
この課題はもっと勉強が必要です。

加茂地名リストと大場氏の照合地リストを作成しました。
これも誤字脱字間違い入力ミス等ありましたら、掲示板にご一報をお願いします。

加茂地名リスト 照合地リスト
参考 藤森氏「銅鐸」より