降臨と三種の神器

天孫降臨説話所伝比較表
三品彰英「記紀神話異伝研究の一齣」より
要素\所伝 書紀本文 書紀第六
の一書
書紀第四
の一書
書紀第二
の一書
古事記 書紀第一
の一書
降臨を指令
する神
タカミムスヒ
ノカミ
タカミムスヒ
ノカミ
タカミムスヒ
ノカミ
タカミムスヒ
ノカミと
天照大神
高木の神と
天照大神
天照大神
指令を受けて
降臨する神
ニニギノ
ミコト
ニニギノ
ミコト
ニニギノ
ミコト
アメノ
オシホミミ
のち
ニニギノ
ミコトに代わる
アメノ
オシホミミ
のち
ニニギノ
ミコトに代わる
アメノ
オシホミミ
のち
ニニギノ
ミコトに代わる
降臨の際
の容姿
真床追衾で
覆われる
真床追衾で
覆われる
真床追衾で
覆われる
降臨の際
虚空において
誕生
降臨の際に
誕生したが
特別記載なし
降臨の際に
誕生したが
特別記載なし
降誕地 日向の襲の
高千穂の峰
日向の襲の
高千穂の
山添峰
日向の襲の
高千穂の
クシヒの
二上峰
日向のクシヒ
高千穂の峰
日向高千穂
久士布流多気
日向の高千穂
のクシ触の峰
随伴する
神々


天津忍日命
天クシ津
  大来目
天児屋命
太玉命
諸部神
五伴緒
常世思金神
手力男神
天石戸別神
以下略
五部神
猿田彦大神
神宝の
授受



鏡の授受と
神鏡に関する
神勅
三種の神宝
授受と神鏡
に関する
神勅
三種の神宝
の授受
瑞穂国統治
の神勅




水穂国統治
の神勅
天壌無窮の
神勅

天降指令神
吉井厳「古事記の作品的性格」より
指令神\出典 書紀本文 書紀第六
の一書
書紀第四
の一書
書紀第二
の一書
古事記 書紀第一
の一書
天穂日 高皇産霊尊


高御産巣日神
天照大御神

天若日子 高皇産霊尊 高皇産霊尊

高御産巣日神
天照大御神
高皇産霊尊
高皇産霊尊 高皇産霊尊

高御産巣日神
タケミカツチ
フツヌシ
高皇産霊尊

高皇産霊尊 天照大御神 天照大神
ニニギ 高皇産霊尊 高皇産霊尊 高皇産霊尊 天照大神 天照大御神
高木神
天照大神

この上下2表を比べてみるとわかるように
三種の神器と鏡の出現が天照大神の出現と重なる。
原史料については不明だが、
(紀本文・第六・第四)と(古事記・第二・第一)の姿が近いのがわかる。
制作年代の違いか伝承氏族の違いなのか?

即位時の奉献記載
日本書紀
允恭天皇 於是群臣大喜、即日棒天皇之璽符、再拝上焉 允恭元年紀
清寧天皇 大伴室屋大連、率臣連等、奉於皇太子 清寧前紀
顕宗天皇 百官大会、皇太子億計取天皇之、置之天皇坐再拝 顕宗前紀
継体天皇 大伴金村大連之跪上天子鏡剣璽符、再拝 継体元年紀
宣化天皇 群臣奏上剣鏡於武小広国押盾尊、使即天皇位焉 宣化前紀
推古天皇 百寮上表勧進至于三、乃従之、因以奉天皇璽印 推古前紀
舒明天皇 大臣及群卿共以天皇之璽印献於田村皇子 舒明元年紀

三種の神器の重要性は、記紀編纂期に考えられたものでしょう。
二種に関しては従来から少しは重要視されていたようです。

三種の神器
日本書紀
第二の一書
吾が児此の宝鏡を視ること、
当になほ吾を視るごとくすべし。
ともに床を同じくし、殿をともにして
以て斎の鏡となすべし。
天照大神から天忍穂耳
古事記 此の鏡は、専ら我が御魂として、
吾が前を拝くが如く、伊都岐まつれ。
天照大神からニニギノミコト
日本書紀
景行紀十二年条
賢木の上枝に八握剣、中枝に八咫鏡
下枝に八尺瓊を掛けて帰順した。
神夏磯媛が景行を
迎える
日本書紀
仲哀八年条
賢木の上枝に白銅鏡、中枝に十握剣、
下枝に八尺瓊を掛けて参り迎えた。
岡県主の祖熊鰐が
仲哀を迎える。
日本書紀
神代巻
真坂樹の枝に八坂瓊の五百箇の御統・
八咫鏡・青和幣・白和幣をつけて祈祷
石窟にこもった天照大神を
招き出す。

ここまで見てみると、三種の神器というものは
やはり大化の改新、白村江の敗北、壬申の乱、持統即位
といった大混乱期に諸氏族の反乱、乱立を防ぐ為に、
中国の形式を真似て作成されたものでしょう。
しかし賢木に付けるといった形状は鉄鐸のものと酷似しており、
元々神を降ろし迎えるシャーマンの道具が存在し、
それに剣、鏡、玉を結びつけているように見えます。
降臨という神を降ろす儀式と三種の神器の組み合わせで
天皇家の権威の創造が大前提だったのでしょう。