任那滅亡考察

日本書紀と三国史記を資料

百済滅亡の100年前に任那の地は新羅に併合された
そこに至る100年間を考察

任那滅亡のプロローグは、475年9月の高句麗の漢城包囲
蓋鹵王の殺害からであると思う。
百済と新羅は共に高句麗の脅威から共闘して臨むようになった
この時も文周王が新羅に援軍を頼みに行っている。

新羅は、このあたりから着実に力をつけていき、
慶州からソウル、漢城に向けて斜めに国土を広げていく。
それまで、少しずつ任那を併合していたが、
聖明王を殺害してから、一気に残りを片付けた

これはすべて、百済の弱体化が、原因であろう。


日本書紀 三国史記
512年
壬辰

継体六年十二月
大伴金村
百済に四県割譲
百済武寧王十二年
このころはすでに熊津が都
毎年のように高句麗と争っている
513年
癸巳
継体七年
伴跛国の反乱始まる

522年
壬寅
継体十六年
この記事は継体二十三年是月
新羅法興王九年三月
加耶国王、花嫁求める
523年
癸卯
継体十七年
武寧薨
百済武寧王二十三年五月
薨去、聖明王即位
524年
甲辰
継体十八年
太子明即位
新羅法興王十一年九月
加耶国王と会盟
525年
乙巳

新羅法興王十二年二月
沙伐州軍主・伊登
(慶北西部・尚州)
百済聖明王三年二月
新羅と国交を結ぶ
527年
丁未
継体二十一年六月
磐井の乱の為
近江毛野臣百済に渡れず
(喙己呑・南加羅復興の為)

529年
己申
継体二十三年四月是月
近江毛野臣、熊川入り
毛野臣翌年対馬にて病死
・河内馬飼首御狩
・調吉士

532年
壬子
空位 新羅法興王十九年
金官国王、来降
537年
丁巳
宣化二年
大伴金村大連に詔
磐・・・筑紫に留まり政を執り三韓に備ふ
狭手彦・・・任那を鎮め、百済を救う

541年
辛酉
欽明二年
百済聖明王と任那連合会談
・吉備臣
新羅真興王二年三月是月
百済の講和の求め許した
543年
癸亥
欽明四年十一月
・津守連
・河内直

545年
乙丑
欽明五年三月
・的臣
・吉備臣
・河内直

548年
戊辰
欽明九年正月
百済より援軍要請
百済聖明王二十六年正月
高句麗の侵入(漢江北)独山城
新羅援軍とともに大破
新羅真興王九年二月
百済、救援、侵入軍撃退
550年
庚午

百済聖明王二十八年正月
高句麗道薩城攻め落とすが
(忠北槐山)
三月に金見城包囲される
(忠北槐山)
新羅真興王十一年三月
道薩城・金見城奪い取る
551年
辛未
欽明十二年
是歳
聖明王、高句麗を撃って
漢城の地を得る。
平壌も討つ、故地六郡復す
新羅真興王十二年三月
国王巡狩し、嬢城に留まる
(忠北清州)
552年
壬申
欽明十三年是歳
百済、漢城・平壌を棄つ
新羅、漢城に入る


553年
癸酉
欽明十四年十月
百済王子余昌の
高句麗進軍説話

百済聖明王三十一年七月
新羅が東北辺境を取り新州を置く
新羅真興王十四年七月
新州軍主を武力とした
十月百済王女を娶る
554年
甲戌
欽明十五年正月二月
百済より救援要請
五月、内臣、舟師率いて百済に
十二月、函山城を攻める
さらなる援軍を求めてきた
百済聖明王討たれる
百済聖明王三十二年七月
新羅襲撃のため、狗川に。
新羅兵に殺害される。
百済威徳王元年十月
高句麗が熊川城をせめたが、敗北して帰る
新羅真興王十五年七月
百済聖明王、加良と連合して
管山城を攻撃されたが、
(忠北沃川)
奇襲攻撃で百済王を殺した
555年
乙亥

新羅真興王十六年正月
完山州を比斯伐に置いた
(慶南昌寧)
561年
辛巳
欽明二十二年是歳
新羅日本に備えて
阿羅波斯山に城を築く
百済威徳王八年七月
百済辺境を侵略するが破れる
562年
壬午
欽明二十三年正月
新羅、任那官家を滅ぼす
七月
大将軍・紀男麻呂
副将・河邊臣瓊缶
新羅の任那を攻める
・河邊臣と白旗の話
・調吉士伊企儺
・倭国造手彦
八月
大伴狭手彦の高句麗進軍説話
新羅真興王二十三年七月
百済が国境地帯に侵入したが撃退
九月
加耶反乱
加耶城に
白旗を立てる

ここで、変なことに気づきました。
この世代、欽明・真興・聖明という王たちで、
欽明(540〜571)治世32年
真興(540〜576)治世37年
聖明(523〜554)治世32年

欽明は真興と同じ年に即位して聖明の同じ治世年で薨去している
偶然だろうか?

そして、任那滅亡後、新羅を攻めた記事が日本書紀にはまだある。

推古八年(600年庚申)
是歳
大将軍・・・境部臣
副将軍・・・穂積臣
ここにも、白旗の説話がある(任那滅亡の時も)
遣使が
難波吉士神・・・・・・新羅
難波吉士木蓮子・・・任那

推古三十一年(623年癸未)
是歳
大将軍・・・境部臣雄摩呂・中臣連國
副将軍・・・河邊臣禰受・物部依網連乙等・波多臣広庭
        ・近江脚身臣飯蓋・平群臣宇志・大伴連・大宅臣軍
遣使
吉士磐金・・・・・新羅
吉士倉下・・・・・任那

このあたり同じ話のカットアンドペースト
三十一年の登場人物など、二度と日本書紀に出てこない。
これが、推古年代の話として挿入されていることも不思議