禊斎の事
    並に無垢鹽草の由来


二見浦の地たる単に風光の絶美なるに止らず、
上代、天照皇大神御遷幸の御時、
佐美都日女命(さみつひめのみこご)奉迎して堅鹽(かたしほ)
*注
「堅鹽は山上憶良の貧窮問答にありて焼鹽の事をいふなり、
止由氣太神宮儀式帳に見ゆる如く御鹽濱にて汲みし鹽を一度焼きて
荒鹽となし、又之を土堝に盛て黒く焼きかたむるを云ふ」


の御饗(みあえ)を奉りしを始めとし、
大若子命(おほわくごのみこと)御鹽調進(みしほてうしん)の為めに、
御鹽濱(みしほはま)並に御鹽山(みしほやま)を献りて、
皇大神御饌御料(すめおほかみみけごれう)の御鹽と調進し奉る御事と
なしてより、神供御料(しんくごれう)を調進すること今にかはらず。
又、神宮の古儀にも當浦(ごうほ)の一部たる祓島(はらひじま)に於て
御贄採(みにへどり)の神事を行はれ、
高城濱(たかしろはま)にて御濱出(おはまで)の神事とて、
禊祓(みそぎはらひ)の儀式を行はれし事あり。
此の浦は、斯如霊地(かくれいち)なるにより、
潮水に沐浴して禊斎(けつさい)を行ふの古俗を尊重せられ、
除服(ぢょふく)の禊祓(みそぎはらひ)を行ひし慣例あり、
當神社域内の立石崎に於ては、諸州よりの参宮人及び神境(しんきょう)の諸人、
汚穢(けがれ)を祓清むる習俗を存続し、
二見浦を清渚(きよきなぎさ)と称するは、
垢離(こり)する故に名づくとの古説を実証せり、
明治初年、神宮制度改革により、御贄採神事(みにへどりしんじ)及び
御濱出の儀式は廃止せられ、交通の便開くるに従ひ、
大小軽重の諸穢禊斎(しょゑけつさい)は悉く此の立石崎に於て行はるる事と
なりたり。
然して、皇大神宮御鎮座の後、倭姫命島々を御巡視(ごじゅんし)ありし御時、
淡海浦(あはみのうら)
・・
(立石崎を距る東方約一里の海面にして飛島其の北方に有り)
付近は海鹽和(なご)みて淡(あわ)しと賞(め)でられし潮流は、
立石崎付近の渚に至るも其の特質を変せず、
爾後二千年を経し明治十五年、衛生局長の検証を得て、茲に海水浴場を開始し、
往古より敬神の儀式として実行せられし禊斎(けつさい)の沐浴も、
冷潮浴(れいてうよく)を兼ねる衛生の適験を実現するに至り、
二見浦海水浴は、日本最古の歴史を有する盛譽(せいよ)を博したり。

累叙(るいじょ)する如く斯く身心を祓ひ清むるは日本固有の美風にして、
殊に敬神(けいしん)の儀範(ぎはん)なるが、「文保記」に、
浴鹽之條可為敬神儀也、出于濱有煩者、汲鹽不可有子細歟
と見ゆる如く、二見浦の清渚は常世の重浪(しきなみ)の帰する國にて
皇大神宮御鎮座の當初より興玉大神鎮護の霊地なれば
この浦の禊斎(けつさい)は一層の荘厳を覚ゆるとも、
若し此の地に来りて禊斎をなすを得ざるときは無垢鹽草(むくしほぐさ)を
用ゆること方俗(ほうぞく)の古き慣例にして、
此の藻鹽草(もしほぐさ)を湯水に和して年中斎戒(さいかい)の
禊斎料(けつさいれう)に用ひしは神宮に於ける旧儀なるのみならず、
上(かみ)はやんごとなき上臈(じやうらう)より
下(しも)は婢女(はしため)に至るまで、
これを髪の毛に結び置けば萬(よろづ)の穢(けがれ)を拂(はら)ふと云傳(いひつた)へて
常に用ひられし故実あり。
明治四十三年東宮殿下行啓の御時には、此の藻鹽草を宮中に御持帰らせ給ひ、
同四十四年國母陛下行啓の御砌にも御内命を畏みて奉献し、
尚、大正四年聖上陛下神宮御親謁(ごしんえつ)の御砌及び
大正五年皇后陛下神宮御参拝の御砌に献上し奉り、
爾後、皇族方神宮御参拝の御時には、之を奉献するを例とせる次第にて、
最も尊重すへき霊草(れいさう)なり。
この清め草は、勅使神宮に御参向の時禊斎用として斎館に備へらるること今に変らず。
當神社に於ては毎年五月二十一日藻刈神事(もかりしんじ)を執行して
藻鹽草を採取し、之を格納して一年中の用料(ようれう)に備ふるを例とせり。
當地付近にありては各戸の門飾(かどかざり)の竹枝に藻鹽草を結び置き、
神詣(かみまうで)の節、其の一片を摘みて口に漱き清め、
然る後氏神に参拝をなす例あり。
又この藻鹽草を竹枝に結び付けて水田の畦畔(あぜ)に樹てて害虫を祈じやうするもの多く、
毎年五六月の交には、山積の藻鹽草も授與に不足を告ぐること
鮮(すくな)からざる現況なり。


考察

*佐美都日女命

一般的に使用名は佐見都日女命
佐見都日女命(さみつひめのみこと)が、倭姫命(やまとひめのみこと)に堅塩を献上した


堅田神社 三重県度会郡二見町江
玄松子さんHP皇大神宮摂社

このしおりの中に「鮫川」という紹介文もある。

鮫川
「當神社の西界線に在る小流にして佐見川を正称とする。
古へこの川口の濱洲(はます)をセバの濱と称し・・・(以下略)」


本当の二見浦の神はこの人ではないでしょうか?

*佐見都日女命
湯立神事二見町公式サイト
昭和20年に合祀されえた栄野神社(現在摂社)の祭神に
佐見都日女命がいる。そしてもう一人、大若子命。
御鹽調進。
しおりには
「神宮の古儀にも當浦(ごうほ)の一部たる祓島(はらひじま)に於て
御贄採(みにへどり)の神事を行はれ・・・」
明治初年に儀式は廃止となっている。
この祓島とは、どこなのだろうか?


*神奈備さんより
佐見都日女命を祭る神社は北から
二見町江 堅田神社
二見町江 栄野神社
鳥羽市堅神町 堅神神社
堅神神社の摂社の乳の宮

*文保記
伊勢神宮における服假・触穢に関する規定。
群書類従にある。
文保・・・1317年〜1319年(鎌倉)