天の岩屋の事

當神社域内に一岩窟あり、土俗之(どぞくこれ)を天の岩屋を称す、
古き参詣記に、又この飛石(とびいし)を踰(こ)ゆる邊(あたり)に
シャクジの祠と云ふあり、白畫(はくちう)に灯(ともしび)を點(てん)じ
云々とある如く、元三宮神社ありし遺蹟(ゐせき)なるが、
何時の頃よりか天の岩戸、又天の岩屋と称するに至りぬ。
これ古き俗謡(ぞくえう)に、「いせのいの字に見ゆる岩門」
とある岩門(いはかど)を夫婦岩に擬し、岩窟を岩屋に擬称せしものにて、
皇大神御遷幸の節此の立石崎に御船を寄せさせ給ひし太古を聨想(れんさう)し、
日の神の拝所なるより高天原の神宮に聨想(れんさう)して、遂に天の岩屋の名を
宣伝せらるるに至りしならむ。

 文治二年東大寺衆徒参詣記
  おもしろく見ゆる二見の浦わかな岩戸をあけし昔ならぬど   慶尊
  二見潟天の岩戸のあけくれもながめて世をばすきぞしぬべき 景恵

古来この岩屋の邊(ほと)りにて菊酒(きくざけ)と称する神酒(みき)
及び無垢鹽草(むくしほぐさ)を授與(じゅよ)し、貝殻を販(ひさ)ぎし事ありて、
今の神符(しんぷ)授與所は其の旧跡(きゅうせき)なり。
域内にて眺望(てうぼう)第一の場所たるを以て、
明治四十五年五月、皇后陛下行啓の際此の処に御休憩あり、
前面に於ける海女の作業を台覧(たいらん)あらせられて
展望の佳矚(かしょく)を賞讃あそばされたり。


考察

*文治二年・・・1186年(平安)

*個人的な想像

自分勝手に古代の祭祀の姿を想像すると、
祭祀対象となっていたのが、この岩屋と興玉石ではないだろうか?
石神(しゃくじ)
現在では岩屋が豊受大神、興玉石が猿田彦大神となっているが
佐見都日女・伊勢津彦というのが本来の姿なのではないか?
伊勢津彦では、次元が違うかもしれないが。