兵庫県
残存地名
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和名抄
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地名辞書
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氷上郡市島町
吉見梶原鴨神社
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丹波国氷上郡鴨庄
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今、鴨庄村は美和の北に接し、庄号を転じて村名とす。
吉見も旧庄なり、吉見村大字梶原に加茂明神あり。
又、鴨庄村大字南に延喜式知乃神社あり、
丹波志に鴨庄に銀杏の大樹を乳木と云うと云えり。
知乃神は銀杏の霊木を祭るにあらずや、
賀茂庄の南東に妙高山神池寺と号する古刹あり。
(補)加茂
氷上郡丹波志 加茂大明神は梶原村に在り、加茂郷の総社なり。
右は祭礼年に七十二度云う。
一の鳥居の脇に銀杏の木あり、回り十囲、俗乳木と云う。
この加茂の社地近き所に伊知の森というあり、延喜式にある伊知の神社を云うか。
妙高山神池寺は加茂郷奥村に在り。
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宍粟郡安富町加茂神社
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播磨国揖保郡加茂神社
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室の港埼に在り、明神山とも云う。
蓋此関津を山城の鴨の御厨料に寄せられし事ありて、
此社を建てし如し、足利義満厳島参詣記に
「室の泊に着き給う、此山の上に加茂をぞ祝ひ奉りけり。
御厨にて此泊の社なり」と録す。神社記に室生加茂明神と云う。
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加西市・加東郡
加東郡社町鴨川
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播磨国賀茂郡
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今、加東加西の二郡に分かつ美嚢印南の北にして加古川の中流なり。
国郡考云。加東郡光明寺所蔵文書「加東郡五峰山光明寺法度云々、
永正十六年四月赤松兵部大輔(義村)」とあるに拠れば、
加東加西も久し、拾芥抄に賀古郡の下に東西と注したるは
賀茂の注を誤りしなり、其分郡亦鎌倉以前にあるべし、
神社記に賀茂東、賀茂西と録し、峰相記加東加西とす。
正保図二郡中に分かち、寛文中併合せしが、文禄図又分かち、
今に至るも之による。賀茂郡は続紀天平元年に初出す。
之よりさき風土記には賀毛郡に作り、昔景行帝当国行幸の時
「賀毛郡山直等始祖息長命、一名伊志治為媒」云々の事見え
「賀毛郡所以号賀毛者、品太天皇之世、於鴨村、
双鴨作栖、生卵、故曰鴨」と述ぶ。
国造本紀には「針間鴨国造、志賀高穴穂御世、上毛野同祖御穂別命児、
市入別命定賜」とあり鴨国は本郡並に多可郡に渉れる称ならん。
姓氏録に「御諸別命、成務天皇御代中分針間国、給え、
より号針間別」とあるは蓋此にて御穂別は御諸別の謬と為す。
風土記に鴨国造の黒田別併に許麻の名を録し、多可郡には黒田郷あり。
(補)国郡沿革考。古風土記
、昔大帯日子命、誂印南別嬢之時、加毛郡山直等始祖息長命一名伊志治為媒。
後世分けて加東、加西二郡となす。
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氷上郡氷上町賀茂
・鴨内・
柏原町鴨野
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丹波国氷上郡賀茂郷
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今、油良(ゆら)村の賀茂是也。
別に鴨庄村あれど高山寺本に因れば、
此郷は伊中氷上の間にして鴨庄と懸隔す。
油良また幸世と改称す。
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