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山城の国の風土記にいう可茂の社は、京都左京区賀茂の御祖神社 
(下鴨神社)をいいます。 
可茂というのは、日向の曽(高千穂)の峯に、天孫に従って高天原から 
降って来た神、賀茂建角身命(鴨武津見、鴨積命)が、 
神倭石余比古の御前に立って(八咫烏)大倭の葛木山の峯に住んで 
次第次第に移動して、山代国の岡田の賀茂に至ると、 
山代河(木津川)に沿って下流の北に進み、葛野河と合う所に来て、 
賀茂川の上流の方を遠望されると、「小さいが、石川の清川である」 
石川の瀬見の小川といいます。 
その川を遡って久我の国の北の山基に定住しました。 
賀茂建角身命が、丹波の国神野の神の井可古夜日女に生ませた御子は、 
玉依日売といいます。玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをした時 
丹塗矢(にぬりや)が河上から流れてきました。拾い上げて床の間に 
挿して置いたところ、妊娠して男の子を産みました。 
成長して大人になった時、外祖父の建角身命が八尋屋を造ると、 
八戸の扉をたてて、八腹の酒を醸し、神々を集めて、 
七日七夜宴をしました。 
そうしてから、子に、「汝の父と思う人に、この酒を飲ませよ」と言いました。 
すると酒杯を持って天を向くと、屋根の瓦を割って天に昇っていきました。 
(父神が天上のイカヅチの神だったのです。) 
その為、外祖父の名をとって可茂別雷と名付けました。 
上鴨神社の祭神です。 
又の名を若雷といいます。 
所謂、丹塗矢は乙訓(おとくに)の郡の社の火雷神(ほのいかずち)をいいます。 
(釋日本紀巻九)
 
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