紀氏の謎2
謎地名の「投馬の忌部」はなんなのか?探してみましたが、以前謎のままです。
「忌部」なる地名は意外と早い段階で「井辺」になっているようなので、
出典書物は古い時の話であろうと推測できます。でも和歌山市は信長・秀吉の焼き討ちで
多くの記録がその時代で焼失してしまっているので、残念です。
わからないので和名抄 「津麻郷」 をヒントに調べてみました。
名草郡津麻郷
・今東山東村なるべし、大字平尾に都麻神社あり、和名抄本郷に次に神戸郷あるは
都麻の神戸なるべし。
(大日本地名辞書)
・和歌山市禰宜に鎮座する現高積神社(延喜式都麻都比売神社)の神戸。
(日本歴史地名大系)
二書の解釈が少し違うようで、どうしてなのか調べてみると
津麻郷の地名にあったであろう都麻都比売神社の場所が正確に解っていないようです。
ますます怪しい地名になってきました。
ツマの地名は和歌山市以外にもう一つあります。
橋本市 妻 (伊都郡相賀荘)
紀ノ川上流で高地性集落があったあたりのようです。
万葉集巻9の
「紀の国の止まず通はむ妻の社妻寄しこせぬ妻と言ひながら」
の妻の地も津麻が解っていないので、どちらかまだ曖昧です。
自分なんかはとっても単純なので、井辺の隣の津秦が津麻じゃないの?
と思ってしまっています。
今回のツマ探険でもう一つ収穫がありました。
下津町の加茂郷について少し知識が増えました。
大日本地名辞書から下津町の大崎の辺りを「神(かむ)」と言ったそうで、
「加茂と云うも古言相通なり・・・大崎は海面に突出て其の湾曲をなしきよき湊なり」
「カムを訓みて此地の総名加茂谷の加茂と同義なり。」
そして加茂に関して角川の方から
加茂川中流域に位置する。なお藤白山脈・長峰山脈に挟まれた地域を総称して
加茂渓という。
「賀茂荘」
平安期に見える。海部郡のうち。
「続風土記」下村の項
加茂大明神が鎮座しており、曽根田、橋本、小松原、中村、小南、梅田、下
の七ヶ村の氏神である。
「続風土記」引尾村立神社の項
同社社伝として「欽明天皇の御宇、京都加茂両大神を勧請して
下賀茂神を下村に鎮座し、上賀茂神を岩井出に鎮座し、奉る因りて此地の総名を
加茂谷と号け、加茂谷中両社を以て産土神とす。
この賀茂神社はもうないそうです。
和歌山の鴨さんはかなり控えめで、大きな和歌浦湾ではなく、
その南の小さな下津湾にしています。
理由を解明するのは至難の業であろう。
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