疑問点
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胸刺国造の段
岐閉国造の祖、兄多毛比命の兒、伊狭知直 の岐閉国造です。
国造本紀上は、岐閉国造は存在せず、道江岐閉国造があるだけです。
しかしこの道口岐閉国造は、天津彦根命、建許呂命たけころの系統であり、
茨城国造のグループになります。
これは単に書き間違い、写し間違いに思えます。
胸刺国造と岐閉国造の間違いの可能性を感じます。
胸刺国造は前段にすでに无邪志国造が存在しているからです。
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2
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「古事記」では、他に津嶋縣直と遠江国造も天穂日命の系譜になっているが、
津嶋縣直は高魂尊の五世孫・建彌己己命たけみこことなっている。
遠江国造は国造本紀に存在しません。あるのは遠淡海国造です。
ここは、物部連系である。
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3
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「日本書紀」では国造本紀にはない土師連の遠祖に、天穂日命がなっている。
野見宿禰が、出雲から土部を連れて来て、日葉酢媛命の墓に、埴輪をつくった。
陵墓の埴輪の始まりと記述されていて、土部連の始まりとなっている。
続紀、姓氏録には「天穂日命十四世孫野見宿禰」とあるそうです。
播磨国風土記では揖保郡立野にお墓の伝承。
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4
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房総半島にこれほど出雲臣系が集まっているのは、何故なんでしょう。
その上房総半島近辺の国造の数は、異常に多いです。
その次の集中地は、吉備になります。
出雲国風土記、出雲郡に伊自美の社(伊甚神社)があります
伊甚国造の人たちの出身地なのでしょうか
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