国造氏族「虎の巻」

吉備臣系の巻
(孝霊天皇)
廬原国造
13成務
静岡県庵原
駿河国廬原
池田坂井君の祖
吉備武彦命の兒
思加部彦
思加部彦
志太郡岡部地名
吉備武彦命
古事記
五百原の君の祖
日子刺肩別
御鋤友耳建日子
景行記倭建
姓氏録
左京皇別
下道朝臣
右京皇別
真髪部・廬原公を吉備武彦の後
稚武彦の孫
三代実録
印南野臣・笠朝臣の祖
角鹿国造
13成務
福井県敦賀
越前国敦賀
吉備臣の祖
若武彦の孫
建功狭日命たけいさひ
若建彦
古事記
若日子建吉備津日子
角鹿の済の直の祖
日子刺肩別
上道国造
15応神
岡山県備前
備前国上道
元封・中彦命の兒
多佐臣
中彦命
吉備武彦の兒
御友別中子
三野国造
15応神
岡山県備前
備前国御野
元封・弟彦命を
次国造
中彦命の弟
下道国造
15応神
岡山県備中
備中国下道
元封・兄彦命
亦の名稲速別命

加夜国造
15応神
岡山県賀陽
備中国賀陽
上道国造の同祖
元封・中彦命

笠臣国造
15応神
岡山県備中
備中国
元封・鴨別命の八世孫
笠三枚臣かさみひら

国前国造
13成務
大分県国東
豊後国国崎
吉備臣の同祖
吉備津都彦命の六世孫
牟佐自命
吉備都彦命
孝霊天皇皇子
四道将軍
豊後国風土記
豊国直等の祖菟名手
日本書紀景行紀
国前臣の祖菟名手
豊国造宇那足尼も同一か?
葦分国造
12景行
熊本県芦北
肥後国葦北
吉備都津彦の兒
三井根子命

疑問点
彦狭嶋命が能登国造で出てきますが、孝霊天皇の子吉備津彦の兄弟にもあり、
古事記では日子寤間命、針間牛鹿臣祖と記述されている。
旧事紀では彦狭島命は海直等の祖となっており、稚武彦命を宇自可臣等の祖としている。
日子刺肩命は、古事記のみの記述である。
高志の利波の臣の祖となっていて、高志深江国造の関連もあるかもしれない。
四道将軍はみな道の君、臣といった扱いになっていたと推測すると
高志深江国造にある道の君を、古事記では吉備系もあるかもしれないとしているようだ
しかし北陸の道の氏族は、やっぱり大彦系だと思います
日本書紀垂仁紀の都怒我阿羅斯等が、角鹿・国前を訪れ、
天日槍が播磨に泊まるあたり、吉備系の人との関連があるのでしょうか?

分布図
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