「埋もれた銅鐸」森秀人著
を読んで

「鐃」が銅鐸の祖先ではないか?

神奈備HPの瀬藤さんが、「埋もれた銅鐸」に載っていることを紹介してくれました。
元々この書物を一度見たいと思っていたのですが、見つかりませんでした。
しかし、今回執念が実り、発見!!いたしました。

鐃= ドウ(ダウ)・ニョウ(ネウ)  どら、くすみ   といった訓みがあります。
これは、現在日本でも仏具として存在し、中国にもあります。
検索で探した時はこの鐃の「はつ」と言われる部類のものしか見つけれず、
形は、叩くゴングのように見えます。
しかし探していたのは鐃の舌のあるものです。古代中国の奏楽の楽器の鐃です。
いろいろ探してみましたが、何処を探せば見つかるのかもわからない状態です。

仏具事典に日本の奈良時代からの鐃は見ることができました。
形は丸い鈴に取っ手がついているもので、振鈴といったものです。
とても古代中国の鐃には見えません。
「埋もれた銅鐸」には銅鐸のような円形ではなく角形である、とあります。
日本の鐃よりも密教の金剛鈴と言われるもののほうが、近そうです。
一応、末広がりのベル系のものです。
ここから銅鐸につなげるには、あとが必要でしょう。
どの段階で紐が発生するのか。まだまだ難しい。

「埋もれた銅鐸」の森秀人さんの内容は、今の自分の仮説から遠いものではありませんでした。
出雲、三輪、加茂、熊野あたりには、記紀神話にもない
銅鐸とともに削除された何かがあるのではないか?という所は同じ立場です。

特にこの本では古代の鐃=銅鐸の原型そして
くすみという呼び名が銅鐸の古称ではないか?
という観点からの銅鐸の解明でした。

くすみの例
熊野久須比
クマノクスビ
八王子の五男神の一人であるが、まったく説話が残っていない。
櫛御方
クシミカタ
崇神の時に突然三輪山神話を伴ってオオタタネコの曽祖父で出現する。
倭大物主櫛御玉神
ヤマトオオモノヌシ
クシミタマノミコト
大和一宮大神神社
オオクニとクシミの合成されたような神名。
神祖熊野大神櫛御気野命
カムロギクマノオオカミ
クシミケヌノミコト
島根県松江市 熊野神社。
熊野夫須美大神
クマノフスミノオオカミ
熊野那智神社
くしびなる御子 神代紀
このクシミタマ敷かしけらしも 万葉集八一四
久須比の郎女 清寧天皇の皇女
櫛玉命 伊勢国風土記
三重の柘植町式内社穴石神社
石の城を作って住んだ
櫛明玉命
クシミタマノミコト
古語拾遺
出雲玉作の祖
玉櫛命 伊勢国風土記
アマテラスの時代忌部の神名
国栖
くず
くすみ
奈良県吉野 国栖村
国栖奏が隼人舞ともども服従民族の忠誠儀式であろうから
一種の俘囚の歌舞であろう。
国栖は常陸風土記によれば、土蜘蛛ともいうし、
八束脛ともいっていると書いている。
栖の語はセイまたはスムと読まれる。
クニスム→クスム→クスミ?
クスミ 青銅の鈍い肌合い
クロククスム クロズム
五十足天日栖宮
イソタルアメノ
ヒスミノミヤ
出雲国風土記
楯縫条 オオクニの宮殿
久須毘の郎女
クスビ
仁賢天皇の皇女

この本の中でもうひとつ面白いと思った話があります。
「難升米」です。
難(ダ・ナ)升(シ)米(ベ・マ)の音から
ダシベ・ナシマ・ナシベ・ダシマと訓める
邪馬台国の外交担当官。
同系ではないかと思われる名前が、迦邇米がある。
天日槍の末裔、中でも田道間守は常世の国から橘を得て帰国した但馬の人。
またその子孫に神功皇后があり、伊都の系統がある。
そんな所から古代の外交官の家系が但馬にあると推測しています。