酒から見てみると、
麹(カムタチ)による酒造りは、口噛み酒より古いものではないと思います。
酒=口噛み→神→カムタチのようではないか?
果実酒は自然発酵がありますが、穀類(デンプン類)は
デンプンを糖に変化させる人為的な作業がないと酒になりません。
その上、米以外でも穀類は口噛みがあれば酒にはなるんです。
そう考えると米の時代以前にも口噛み酒は存在しうることになる。
口噛みの歴史は8世紀初頭と思われる大隈国風土記のくちかみの酒
で「男女一所に集まりて、米をかみて、さかぶねにはき入れて」と
古事記気比の大神と酒楽の歌に
「この御酒を醸みけむ人はその鼓臼に立てて歌ひつつ口醸みけれかも」
とはっきり出ている。
ならば麹に関するものは、播磨国風土記の
「大神の御粮沽れて米+毎生えきすなわち酒を醸さしめて庭酒を献りて宴しき」
があります。
口噛みの酒より麹の発生よりできる酒は神域のできごとだったのかもしれない。
今度はその麹やカビに関しては、日本の独自性があります。
東南アジアのものは原料が麦類の粉を餅状にして麹を作るのですが、
日本のものは原料が米で蒸した粒状のものから麹を作るのです。
カビの種類もクモノスカビと麹カビとの違いも言われています。
(日本酒ルネッサンス 小泉武夫著 中公新書より)
口噛みによる酒は3〜4日でできるようですが、
麹による酒はその発生が起こる条件と日数的にも掛かるようです。
簡単にできそうな口噛み酒は、かなりの重労働のようで、
「こめかみ」の語源がこの口噛み酒にあるのではと言われている。
大量に生産するには麹による酒造りが適していたのでしょう。
噛むという行為と神、カムタツという状態と神を考えると
噛む=かび=酒=神になります。
他に「醸す」と「加茂」のつながりもあるのかもしれないと妄想してしまいます。
銅鐸水源祭祀説を現在考えている自分には、
この酒を造る水に加茂の水源をあてたくなります。
酒造りには水は原料の米同様とても重要なものなのです。
酒=クシ、ミシ=噛む=神=かび
酒を中心としたリンク関係が古代人にあったのであろうか?
お酒の歌
この御酒(みき)を 醸(か)みけむ人は
その鼓 臼立(うすにた)てて
歌ひつつ醸みけれかも 舞ひつつ醸みけれかも
この御酒の 御酒の あやに楽(うただ)のし ささ
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この御酒(みき)は わが御酒ならず 酒(くし)の長(かみ) 常世にいます
石立(いわた)たす 少名御神の 神寿(かむほ)き
寿き狂ほし 豊寿き 寿きともほし
まつりきこし 御酒ぞ 乾さずをせ ささ
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あらさかの 神のみ酒を
飲げと 言ひけばかもよ
我が酔ひにけむ
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斎串(いぐし)立て 神酒(みわ)坐(す)え奉る
神主部の うずの玉陰見ればともしも
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