四国
残存地名 和名抄 地名辞書
徳島県
徳島市加茂名町
阿波国名方東郡鴨郷。

今、加茂村、加茂名村及び徳島市の地に当たる。
北は別宮川(吉野川幹流)に至り、
西は鮎食川に至る。
南は八万郷、東は海浜とす。
徳島県
阿南市加茂町
阿波国那賀郡加茂谷 今、大野村の西、那賀川の谷凡四里許を加茂谷村と云う。
大滝岳南岸に備え、山容水勢非凡の境なり、
大滝寺は空海法師修道の遠を従にして
寺塔今に輪奐たり、山民石灰製造に従事する。
徳島県
三好郡三加茂町
阿波国三好郡加茂 此村三庄の西に並び、美馬郡鴨神社、
横田神社ともに此に鎮座す。
(阿波志神祗志料)式社記伝
鴨は事代主神、横田は食津神
香川県
坂出市加茂町
讃岐国阿野郡鴨部郷 今、加茂村なり、府中村の北に接し綾川の東岸に在り
三代実録貞観十七年讃岐国鴨神授位延喜式阿野郡に列し
今加茂村にあり、祠前に雷塚あり。
主祀を鴨箭院と云う。(全讃史)鴨県主系図云
「禰宜祐俊、建長六年十月、当官御幸之時、讃岐国鴨部
祐俊子孫可相伝之被下宣旨」と古より
京都賀茂の社領と見ゆ。


香川県
大川郡志度町
鴨部
讃岐国寒川郡鴨部郷 今鴨部村、鴨部下荘村、小田村是なり。
津田浦の西北、志度浦の東なる半島状地なり、
鴨部川は長尾の奥山村に発源し、郡内の諸水を集め、
大串崎の西湾(鴨部湾)に於て海に帰す。
鴨部は古訓加茂部なるべけれど今は鴨部と呼ぶ。
鴨部村大字東山に延喜式寒川郡志太張(したはり)神社在り
全讃史云、
極楽寺記曰。元長元年弘法大師石田極楽寺於鴨部、
以下張神為鎮守、蓋下張地名。


愛媛県
越智郡玉川町
(旧鴨部村)
伊予国越智郡鴨部郷 今鴨部村、九和村是なり、高橋郷の南に接し総社川上流にある。
文徳実録嘉祥三年、伊予国力田、物部連道吉鴨部首福等、
叙位一階、道吉等傾尽私産、賑贍窮民、故有比恵。
此鴨部首は物部同祖にて、越智の庶流にや予章記に
伊与皇子十五代孫を鴨部大神と号すとある事参考すべし。
延喜式越智郡大野神社内にあり(九和村大字大野)
之を三島若宮鴨部明神と称す。
愛媛県
西条市加茂
伊予国新居郡賀茂郷 今神戸村、加茂村等是なるべし神戸郷の南にして
立花郷の東に在り、加茂川之を貫流す。
神戸村は中野と称し伊曾乃神社(延喜式名神大社)在り
近年神戸と改むれど古郷の制に非ず。
高知県
高知市鴨部
土佐国土佐郡鴨部郷 今鴨田村、旭村なるべし、鴨田に大字鴨部在り。
高坂郷の西南に接す東大寺要録に土佐郡鴨部本郷五十戸
天平勝宝四年寺封に充てられ事見ゆ。
又釈日本紀所引の土佐風土記に「奉移土左、神随而降、神身己隠
以祝代之、初至賀茂之地、後遷干此社」とある。
賀茂は蓋此鴨部郷にして後今の一宮村に遷したるか、
南路志云、大利村(今鏡村大字)観音堂鰐口銘曰、
「鴨部庄、浄土寺、願主浄真、長禄四年五月一日」