立石崎の事 今を距(さ)ること六百年前、既に立石の名世に顕はれ、 「士佛参詣記」に、俗にここをば立石と申す也、 大淀浦(おほよどうら)もあたりに近く、伊勢島(いせじま)の方(かた)も 遙かに詠(なが)めるや、南に歩み進むれば、白き砂雪を嘲り、 清き渚の名をあらはし青き波、風漂ひて荒き濱邊の岸を 驚かす云々と載せ。 「勢陽五鈴遺響」に、此の地に至るに、立石茶屋より海崖(うみぎし)に至る処に、 八九尺計の巨石を並べて、詣客の踏みて、潮水の満つる処を踰行(こえゆ)く 飛石(とびいし)あり、潮水多く満つるときは、此の石に激して飛奔(ひほん)す、 故に往事かたし、此処より北に山路あり、是を越て立石崎の垢離(こり)する地に 至るなり云々とありて、古来清絶(せいぜつ)せる垢離掻場(こりかきば)と称せられ、 習俗此の立石崎の潮(しほ)に浴して心身清浄にし、 以て大神宮に参拝する美風(びふう)を伝ふ。 又、此の地に垢離(こり)を掻くこと能(あた)はざる者は、 潮水を竹筒に盛り、或は此の浦の藻鹽草(もしほぐさ)を自宅の浴湯に和して 汚穢(けがれ)を清むる慣行も亦往古(いにしへ)より伝はりて、 立石崎を潔斎(けつさい)の第一霊區(れいく)とせり。
考察
*立石崎
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