御日の神拝所の事 當神社域内は、古来日の出の名所地として、夏至の頃には雙巌(さうがん)の間に 富士山の霊容明らかに現出し、其の峯頭(ほうごう)より目覚ましくも崇厳(そうごん)なる 紅敦(こうとん)海上に浮び出づ、其の光景実に繪畫(くわいぐわ)の偽りなきを 証して余りあり。 抑(そもそも)日出國中(につしゅつこくちゅう)唯一の霊地に処して 東海昇旭(とうかいしょうきょく)の壮観に接すれば、 天祖天照皇大神の鴻固(こうご)を感拝して、偉大なる思想を興起せずんばあらず、 しかして御日(おんひ)の神の拝所(はいしょ)たる旧蹟千古変らず、 古今に宣伝せられし有声の畫、無声の詩、よく其の真髄を発揮せるに想到して、 轉無量(うたたむれう)の感興(かんきゃう)を覚ゆ。 謹みて按ずるに、天照皇大神を日の神と仰ぎ奉り、 赫々(くわくくわく)たる霊光を崇拝して、萬邦に秀でし心性を涵養(かんやう)し来りし、 日本民族の古習旧慣の尊重すべき事は、国史の伝へて以てその神徳(しんとく)を 彰明(せうめい)せれう所に由りて立証せられたり。 殊に、皇大神御遷幸の御時、御船(みふね)をこの浦に停め給ひ、 立石崎を経て江川(えがは)に入り、五十鈴川(いすすがわ)を遡り 川上の大宮処に鎮座し給ひし神跡(しんせき)、厳然として存在する、 この興玉大神祭祀の霊域にありて、東海よりさし昇る旭影(あさひかげ)を 拝迎(はいげい)し奉るは、即ち天照皇大神の大御稜威(おほみいづ)を 拝する義にして清き暁の潮氣(しほかぜ)に浴し、心神を明潔(めいけつ)ならしめて 神國々民の幸福を禮讃し奉るは、正に敬神の大義にかなへる、伝統的古俗の美風を 称すべきなり。
雙鑑浦観出日歌 ョ 山陽
考察
この歌は、本当にあるのだろうか?
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