ヌカヒメ伝承
「常陸国風土記」
大日本古典文学大系
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茨城の里。此処より北に高き丘あり。名をクレフシの山といふ。
古老いへらく、兄と妹と二人ありき。兄の名は努賀比古(ぬかびこ)
妹の名は努賀比売(ぬかびめ)といふ。時に妹、室にありしに、
人あり、姓名知らず、常に就て求婚ひ(よば)、夜来りて昼去りぬ。
遂に夫婦と成りて、一夕(ひとよ)に懐妊(はら)めり。
産むべき月になりて、終に小さき蛇生めり。
明けくれば言とはぬが若(ごと)く、闇るれば母と語る。是に、母と伯(えをぢ)と、
驚き奇しみ、心に神の子ならぬと挾(おも)ひ、即ち、浄き杯に盛りて、
壇を設けて安置けり。一夜の間に、己(すで)に杯の中に満ちぬ。
更(また)、ひらかに易(か)へて置けば、ひらかの内に満ちぬ。
此かること三四(みたびよたび)して、器を用ゐあへず。
母、子に告げていへらく、「汝(いまし)が器宇(うつわもの)を量るに
自ら神の子なるころを知りぬ。我が属の勢は養長(ひた)すべからず。
父の在すところに従きぬ。此処にあるべからず。」といへり。
時に、子哀しみ泣き、面を拭ひて答へけらく、
「謹しみて母の命を承りぬ。敢えて辞ぶるところなし。然れども、
一身の独去きて、人の共に去くものなし。望請はくは、あわれみて
一の小子を副へたまへ」といへり。
母のいへらく、「我が家にあるところは、母と伯父とのみなり。是も亦、
汝が明らかに知るところなり。人の相従ふべきもの無けむ。」ここに
子恨みを含みて、事吐はず。決別るる時に臨みて、怒怒に勝へず、
伯父を震殺して天に昇らむとする時に、母驚動きて、
ひらかを取りて投げ触てければ、子え昇らず。
因りて、此の峯に留まりき。盛りしひらかとみかとは、今も片岡の村にあり、
其の子孫、社と立てて祭を致し、相続ぎて絶えず。
蛇信仰の考察上大切な点
○兄妹の蛇巫の家の存在。
○その家の屋内で蛇が飼育されていたこと。
○蛇の成長につれ、その容器も変化すること。
○蛇飼育の容器が神聖視され祀られること。
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